【読書シリーズ📖】『妙好人』鈴木大拙⑬~霊性的自覚の世界~
前回は、「宗教と倫理」と題して、宗教と倫理の関係について考えました。
鈴木大拙氏は、宗教とは、倫理の枠に収まるものではない。自己の内面的な生活のことであり、すべての命に関係する問題であると述べられました。
今回は、p41~「2-2_霊性的自覚の世界‐浅原才市‐人間の罪悪感と倫理‐他力宗と罪悪感」を読んでいきます。
霊性的自覚の世界は誰もかもの棲んでいる世界ではあるが、これが実際生活の上で自覚せられるには、深く内面に浸沈して行った経験を持たなくてはならぬ。たんなる学問でも得られぬ。普通の世渡りをしているだけではいけない。お寺詣りとか教会行きだけをやっていても駄目だ。学問がなくても、思索がなくてもよい。人生そのものについて真剣な反省を行(や)った人々にのみ開けるのが霊性的自覚の世界である。本当の意味における創造の世界はここにある。(p41)
鈴木大拙氏の語る、宗教とは、霊性的自覚のことだと、前回も確認しましたが、その霊性的自覚こそが、「本当の意味における創造の世界」と述べられます。
どういうことでしょう。

まず、霊性的自覚とは、「人生への真剣な反省した者に開かれる世界」と言います。
思索も学問もそこには関係ありません。鈴木大拙氏によれば、教会参りや、お寺参りだけでも足りないのだそうです。
あくまで、自分の人生に問いを立て、反省をする中に開かれる世界が、霊性的世界のようです。
この、日本人に受け継がれてきた霊性的世界が、西洋的な感覚、機械的な感覚、浅いヒューマニズム思想によって、失われつつあると嘆いてもいます。
人間としてはこれを失ってはならぬというものが、一歩一歩と後退して行くように感ぜられる(p42)
とも仰います。
ここまで、鈴木大拙氏が力を込めて伝えようとされる霊性的世界とは、どんな世界のことなのでしょうか。
具体例として、妙好人の、浅原才市さんが再び紹介されますが、分量的に次回に回します。
自分の人生を問うていくことについて、軽やかに、しかし重く語ってくださる梯実圓和上のご法話です。



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