【読書シリーズ📚】『妙好人』鈴木大拙㉗~赤心片片~

前回は、浄土真宗の専門用語である、「機法一体」(きほういったい)や「名体不二」(みょうたいふに)と触れながら、才市さんの詩が何を意味していたのかを考えました。

今回は、p121~「4-10_才市の信仰内容_赤心片片」を読んでいきます。

「なんぼ見てもわかりやせぬ」といえば、これは黒白未分の世界である、無分別の心境である、 何のわずらいもない、何と言いようもない。

是も是、非も是である安心決定態である。

才市さんが使われた、「なんぼ見てもわかりやせぬ」と言う言葉にまず触れています。

この言葉は、「ただ分からない」という怠惰な意味ではないというのです。

その言葉が出るのは、以下の詩です。(一部抜粋)

(前略)

もやくやのこころも、いまわ親のこころよ。

わしがもやくや、をやのもやくや、

さいちゆ(を)、すくうて。

なむあみだぶに、すくわれて、

なむあみだぶに、やきつかれ、

なむあみだぶに、のせられて、

どれが、機だやら、法だやら、

なんぼ見ても、わかりやせの。(なんぼ見ても、わかりやせぬ。)

本当に、感情がダイレクトに出ていて、好きです。

嘘が無い。ないというより、必要が無い。そんな世界に遇うことこそ、幸福と言うのでしょう。

「もやくや」が良いですね。おそらく、「モヤモヤと悔しさ」のことでしょうが、このような言葉、明治~昭和を生きた方も使っておられたのですね。

その、モヤクヤは、「親の心」だと言います。

自分のモヤクヤが、親の思い?

この私を目当てとし、この私にかかりっきりの仏様の活動場所は、他の誰でもない、この私の命の中でありました。

そのようにお救いを頂く時、私の感情は、私一人で完結するものではないのです、届いているのですから。前回も確認したように、機法一体なのですから。

だからこそ、「いまわおやのこころよ」

ありがたいですね。

ここに出る、「なんぼ見てもわかりやせぬ」が、黒白未分の世界。分けて考えらない世界であると言います。

これに関して、私にも心当たりがあります。

「なんぼ見てもわかりやせぬ」とは、ただのネガティブな言葉ではないのです。

(福岡県の地図。右下の赤が「上毛町」)

私の実家は、福岡県築上郡という場所(大分県中津市に程近い場所)なのですが、ここに、昭和10年生まれの美登里ばあちゃんという祖母がいます。

このばあちゃんに、「なんでお念仏するの?」と質問したことがあります。

幼心に、なぜお念仏が大事なのか、分からなかったのです。なぜ、手を合わせるのか、理由が欲しかったのです。

しかし、答えは、私を満足させるものではありませんでした。

「なんでか?そりゃあ、分からん。分からんけど、仏様だからねえ」という、曖昧な返事でした。

しかしのちに分かることですが、これは、曖昧な返事でも、適当な回答でもなかったのです。

これ以外に、ご法義を明かしていく言い方は存在しないのです。どういうことか。

「なんぼ見てもわかりやせぬ」とか、「分からない」と言う言葉は、「(私の頭では)分からない程に、大きなもの」を示す言葉だったのです。

救いの広さ、深さを示す言葉が、「なんぼ見てもわかりやせぬ」です。この煩悩の命に、分かるほどの仏様なら、結局はそのレベルなのでしょう。

見えたものは、見えた瞬間に、私の頭より小さいものになります。仰ぐ対象にはなりません。「分かった」と思った時、理解の対象、知識の範疇になるのです。

わしの貪欲、みなとられ、 世界わ、わしがなむあみだぶつ。

わたしや、あなたに、みなとられ、 ねんぶつもろをて、なむあみだぶつ。

怒った時、悲しんだ時、どうしようもない感情の時、その私の中に、「あなた一人見捨てはしないぞ」と届く存在が、お念仏さまであります。

なむあみだぶつ、さいちしやわせ。

右に名号を、なむあみだぶつ。

中にをるのが、さいち、なむあみだぶつ。

左に浄土、なむあみだぶつ、 中にあまりて外にでた、 これが十方みちみちる。

ここで御恩よろこばんせ、 なむあみだぶつ。

この詩に対して、鈴木大拙氏は、「中に余りて外に出た、これが十方みちみちるという思想は、才市の覚帳には稀に見ゆるところである。」

残っている才市さんの詩の中でも、珍しい表現であるそうです。

おそらく、お仏壇を想像しながら詠んだ歌ではないでしょうか。

名号も、私も、浄土も、別々のものではなかった。

私から溢れて、私を包むのが浄土である。と、どこか遠くの浄土ではなく、この私の中に、先に届いたのが浄土ですよと、仏様のはたらき、浄土の躍動を示す表現であろうと、私は頂きました。

浄土真宗とは、固定的な、狭い話ではないんですね。

広がりを持った、動きを持った救いの表現であります。

それを、鈴木大拙氏は、禅の言葉を使い、「赤心片片」と表現されました。

(「赤心」とは、赤子のような純粋な心。「片片」とは、余すことなくすべてという意味。すべての物事に、真心を持って向かうこと。)

合掌

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