【読書シリーズ📚】『妙好人』鈴木大拙㊴~有福の善太郎1~
前回と、前々回は、才市さんの詩を紹介しました。
今回は、p231~「他の妙好人」を読んでいきます。今回は、有福村の善太郎です。
現在の、島根県におられた妙好人であります。こちらのページも参考になりますので掲載します。

(善太郎さん)
善太郎さんも、才市さん同様、妙好人として知られ、お念仏を喜んだ方でありました。
その善太郎さんに伝わる、エピソードを少しずつ紹介していきたいと思います。
芸州山県辺の同行、二、三人、下有福に至り、道端の農夫に「善太郎殿の家は何処なりや」と 尋ねしに、
農夫いうに、「善太郎とは私の事で御座るが、私は家は持ちませんよ。」
「それは合点が 行かぬ。借家住いでもして御座るのか。」
「いえいえ、如来様の家に置いて貰っております。」
同行ら深く感じ入り、親しく御法話に遇って帰ったという。
芸州ですから、広島から御同行がいらっしゃったのでしょう。目的は、善太郎さんという有名な妙好人にお会いしたい。お話をしてみたい。
そこで近所まで行ったときに、そこにいた人に質問したのです。
「善太郎さんの家はどこですか~?」
農作業をしている人に、問うたのですから、おそらく大声で叫び質問したのだと思います。
そうしたら、返事が来ました。
「善太郎とは、わしのことじゃ。わしのことだが、わしは家は持ってないよ。」
??
ん?
返事を聞いた側は驚いたと思います。
「家が、無い?」
「それはどういうことだ?借り暮らしということか??」
「いや、私は、如来の家に住んでいるのです。」
それをきっかけに、ご法義の話をして、談義をして帰ったのだそうです。
凄い言葉ですね。
しかし、初対面の人に言う言葉ではない気がします。笑
なぜこんなことが言えたか。
おそらく、一言、質問を聞いただけで、お念仏を共に喜ぶ御同行であることが分かったのだと思います。
だから、このような発言をしたのでしょう。
私には家は無い。お浄土に住む人間なのだ。
お念仏を申し、仏様を頂く人生は、煩悩多き娑婆にいながらも、仏様と共に生活する人生を恵まれるのです。
だから、「如来様の家に置いて貰っております。」
という発言が出たのだと思います。
普段の生活の中で、「家」について、考えていたのでしょうね。俺は今どこに暮らしておるんだろうか。
そうかそうか。娑婆の中、時に不安定なこの世の中だが、しかしお慈悲が届いていたではないか。
何があっても、どれだけ右往左往しようと、この命を見捨てないとはたらき続ける、南無阿弥陀仏の存在があるではないか。
そうじゃったそうじゃった。私の命は、如来のお慈悲の中、如来の家の中だった。ここがその場所であったな~。
と味わったからこそ、この発言になったのだと味わいます。日々の生活の中で考え、お慈悲を感じていたのでしょう。
生きる意味と方向性。命の居場所を味わうのが、浄土真宗であります。



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