【読書シリーズ】『妙好人』鈴木大拙①~「うちのご門徒は、皆、妙好人や」~

今回から、『妙好人』という鈴木大拙氏によって書かれた本をテーマにして、学んでいくコーナーにしたいと思います。私ひとりだと、寂しいので、ご意見や質問があったら、お問い合わせくださいね。
また、間違いや誤字があればお伝えいただけると幸いです。
本の内容と合わせて、個人の意見も載せていくと思いますが、上宮寺の公式見解ではありませんので、悪用はしないようご配慮ください。
それでは、本の内容に入っていくにあたり、確認したいことがあります。タイトルと著者についてです。
「妙好人」

「鈴木大拙」

(鈴木大拙館HPより)
お聞きしたことはあるでしょうか。
妙好人とは、ひとことで言うと、「お念仏よろこぶ方」のことです。
浄土宗さんの辞書(『浄土宗大辞典』)が公開されており、細かく説明がなされています。〈「妙好人」のページ〉
元は、念仏者を誉め讃える言葉でしたが、江戸時代に浄土真宗の学僧、仰誓(ごうぜい)師が〈『妙好人伝』〉を発表したことで、特に浄土真宗の念仏者を指す言葉として伝わってきました。
次に、鈴木大拙氏は、世界的に著名な仏教者です。語学にも優れ、大乗仏教の思想を世界に発信したという点において、右に出る人はいないといっても過言ではありません。
禅の思想や華厳の思想を世界に発信しました。また、浄土教、特に浄土真宗の教えも大切にされ、親鸞聖人の『教行信証』(『顕浄土真実教行証文類』・『教行証文類』)の英訳もされました。
また今回取り扱う「妙好人」のことを昭和天皇に講義されたことも有名です。『日本的霊性』(にほんてきれいせい)という概念をもって、日本人の宗教観にスポットを当てられました。
まずは序文から読んでいきます。ぜひ興味のある方は実際に買ってみてくださいね。仲間が出来たら、お寺で集まって読書会をしても楽しいだろうなと一人勝手に企んでおります。

「気にかけていると、妙好人という人は中々多いのである。驚くべきほど多いといってもよいではないかとさえ思う。他力宗(浄土真宗)の生命は、実にいかめしい学匠達や堂々たる建築の中にあるのではなくして、実は市井の人、無学文盲ともいわれうる賤が伏屋に起伏する人達の中にあることを知った」(p1)
※漢字は適宜現代語に改めています。括弧は筆者。
妙好人とは、希少な過去の遺産ではありません。念仏者の理想像のモデルではありません。今この世界で、お念仏を大切にし「南無阿弥陀仏」とお念仏申す人のことを、「妙好人」と申します。
学問や大建築が条件となるのではありません。難しいことを知っていくのではなく、わが身にはたらく、お慈悲を聞き受ける人を言います。
大阪に、若林眞人さんという、有名な布教使のお坊さんがおられました(2025年5月21日御往生)。若林先生が、行信教校の専精舎という行事の中で、このようなお話をされたことを思い出します。
ご講題は、「是人名分陀利華」でした。仏様のお慈悲を喜び、お念仏よろこぶ人は、仏様に誉め讃えられ、白蓮華の花に例えられるのです。
「妙好人」というと、「何やら特殊な人を指す」という勘違いが、私の頭を邪魔していました。違います。ろくでもないこの私が、お念仏の身となったということを、一対一で、白蓮華のような方だと、誉められている言葉なんですよ。
昔、大阪教区でアンケートが取られました。「あなたのお寺に妙好人がおられますか?」というものでした。篤信な人を探して、紹介したいというものと理解しましたが、その時に頭の中にふと考えたことがある。「うちのご門徒は、皆、妙好人や」って言いたいと思った。ろくでもない煩悩のこの身が、お念仏申す身になったんや。その値打ちはまるで白蓮華ですと、誉められてるんですよ。
また、「理想の念仏者」という言葉がある。これは危ないですよ。「理想」という人間の物差しが入ると、人を差別しますよ。もしそんな質問をされたら、みんなで、こう答えましょう。
Q「理想の念仏者とはどのようなお方ですか?」A「はい、(手を挙げて)理想の念仏者とは、この私です。」
「お前みたいなやつのどこが理想なんや?」と言われても、それは人間の評価や。妙好人とは、仏様が名づけてることですよ。理想ってなんや。阿弥陀様の理想とは、「南無阿弥陀仏を信ぜしめ、南無阿弥陀仏を称えしめ、南無阿弥陀仏を証らしめる」でしょ。その理想が現実化しているのが、この私でしょう。そんな値打ちを頂くんですよ。
阿弥陀様のお慈悲がはたらく現場は、他でもないこの命でありましたと、よろこぶ人を、念仏者、妙好人と申すのです。ここに、いのちの意味と方向を確かめていくのが、浄土真宗であります。
ここに、自らのいのちの居場所を聞いていけることが、浄土真宗の御信心を頂く、なによりもの喜びであります。
鈴木大拙氏が驚かれた、妙好人の多さとは、このような感動が共にあったことでしょう。「文字も読めないような人が、自らが感得できていないような素晴らしい宗教的境地に至っている」と。
一番聞いて頂きたい、行信教校でのお話は、YouTube「第127回専精舎夏講講演③若林眞人先生」です。
〈参考サイト〉以下も参考にお読みください。