お寺という場所の意義

お寺とは、どんな場所だと思いますか?

お寺に全く御縁のない人もいれば、お寺に生まれる人もいますから、その感覚はそれぞれに異なることでしょう。

「古風で、優しい懐かしい場所」

「敷居が高い」

「そもそもイメージが無い」

20代や30代の世代に聞いても答えは様々です。

いざ自分が質問されても、答え方はいくつもあると思いますが、今回は、「仏教を聞く場所」として、話を進めてみます。

そもそも「仏教」とは。

分かったような、分からないような。

これを、私は2つの側面から教えてもらいました。

①仏様の教え ②仏に成る教え

「仏教とは何ですか」とか聞かれたら、これを答えておけば、文句は言われないと思います。

それでも文句を言ってくる人がいたら、その場から、一歩引きましょう。

①仏様の教え については「仏様が説いたのだから仏教というんですよね。」と素直に頷けるようにも思います。しかし、一見とっつきにくく、また重要なのが、 ②仏に成る教え です。

説き手である存在に、説かれる側が成るというのは、あたり前の話ではありません。

ユダヤ教で教えを聞いてヤハウェになるとは言いませんし、キリスト教でもキリストになるとは言いません。

しかし、仏教とは、仏様のお言葉、教えを聞いて、自分も仏に成る教えであります。

その仏教を聞く場所が、お寺という場所です。

以下に、参考になるであろう動画も載せておきます。上宮寺にも30年以上お話に来られている、阿部信幾先生の動画です。

お寺とは、仏教を聞く場所・伝えるための場所だとした時、最も大切になってくるのが、その「仏」とは何かという問題です。

仏様という存在について、次回記してみようと思います。

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