【読書シリーズ📚】『妙好人』鈴木大拙㉜~仕事も浄土の荘厳~
前回は、「ままならぬもの」をキーワードにして、宗教的な問いを考えました。
今回は、p140~第6章「信仰の健全性と中庸性」~衆生済度~を読んでいきます。
いわゆる自力宗でも、時によると、その宗教生活に、不健全なもの、中庸を離れたものが出現することがある。これは欧州でも中世時代に出た変質的神秘主義の諸現象を見るとわかる。ことにこれが他力宗になると、情性的傾向の過多性ともいうようなものが出る心配がある。「ありがたい」・ 「もったいない」・「おもしろい」・「うれしい」などいう感情がさきになって、日日の社会的生活が第二義に落ちて行くことがある。宗教的・情性的生活には、またその一面に知性的行為的制約をもったものがないといけない。即ち霊性的直覚は、そのままでは社会性・行為性を力強く発揮し得ないという傾向があるので、われらは特にその点に関して注意しなければならぬのである。才市の他力体験には全くそれがない。それは、彼の浄土観が娑婆観と分離していないというところに存する。
ちょっと、難しいですね。
漢字が多く読む気が失せたという、私の思いと似た感情を持った方は、マーカーを引いたところだけでも読んでみてください。
つまりは、俗世の感覚とずれていく。信仰の世界に生きる人が、世間の常識を超えた行動や考え方をする時がある。これは、確かにそうですね。
世間を騒がせる事件などが、宗教が機縁となって起こる場合があります。宗教とは怖いのです。恐ろしいものなのです。その人の価値観を、根底から変えていく。世間一般の常識とは異なる価値観を形成させる場合があります。しかしだからこそ、このどうにもならない命の問題を超えていける面もあるのです。
宗教をあまり馬鹿にしない方が良いのです。今は、教育の中にも宗教が無く、情操教育が無いままに日本人は育ちますから、この辺の感覚がどうしても薄いです。知らないままに人を馬鹿にし、偏見を持ち自分の生き方も問おうとしない。この面が、現代の課題として確実に我々を襲っていると思います。皆さんはいかがですか?
ありがたいな。
娑婆ですること、家業を営みすることが、
浄土の荘厳に、これがかわるぞよ。
ふしぎだ、なにとふしぎでありますな。
なむあみだぶわ、どをゆう、ゑゑ(ええ)くすりであろをかいな。
(括弧は筆者)
娑婆での仕事が、浄土の荘厳に変わるとは、どういうことでしょうか。
仕事は仕事です。才市さんは、カンナを用いて下駄を作っていました。しかし、ただ働いていたのではなく、誰かのために仕事をし、働くことの意味合いが変えられたことを意味するのではないでしょうか。
この命は、仏様に願われた通り、浄土に生まれ仏となる命だった。今がその道中。仕事もその道中だと、その意味を変えられたのだと、私は味わいました。だからこそ、エーザイ株式会社ではないですが、「ええくすり」と言われたのではないでしょうか。
さいちや、なむあみだぶで、しごとをするよ。
これをご開山(御開山=親鸞聖人のこと)に、をしえられ、
ご恩うれしや、なむあみだぶつ
(括弧は筆者)
仕事さえも、お念仏の中であったと働ける。それが、妙好人の生きざまだったのでしょう。いやあ、格好良いですね。



“【読書シリーズ📚】『妙好人』鈴木大拙㉜~仕事も浄土の荘厳~” に対して1件のコメントがあります。