【掲示板】1月の掲示板の言葉

2026年が始まります。

新年最初の言葉は、「さむいから、手つなご?」です。シナモロールの言葉だそうです。

(Wikipediaより)

シンプルで良いですね。寒いときに相手が寄り添ってくれる。そんな和やかな風景が浮かびます。

こんな詩も思い出しました。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
(俵万智/「サラダ記念日」

迷うたび 母の遺言 冬ぬくし(ある日の朝日歌壇)

これらの共通するのは、寂しさ、冷たさが、それだけで終わっていないことです。

寒いのも、つらいのも避けたいけれど、そんなに都合よく事は進みません。

このシナモロールの言葉が、ただの冷たい事象だけを表しているのではなく、我々の抱える命の冷酷さも、示していると味わってみたいのです。

私たちは、あったかい時には、自分が一人であることを忘れています。 自分の力で歩いている、自分の力で生きている、そう思って胸を張っています。

けれど、ふっと人生に冬がやってくる。 迷いがやってくる。病、老い、別れ、死、や、「自分という人間がどうしようもなく情けない」という、心に突き刺さるような冷たい風。 その時、私たちは初めて、自分の「手の冷たさ」に気づくのです。

どうにもならない命の現実は、時に、急に我々を襲ってきます。涙をもっても対処できないその事実の大きさを、「さむい」と言う言葉が示してくれます。

そんな時、「手をつなごう」と、至り届く存在がある。「つなごう!」ではなく、「つなご?」という、こっちに目線を合わせた表現である点も好きです。

寒いからこそ、手を伸ばしてくれた。寒いからこそ、その温かさに気づけた。お慈悲のぬくもりは、そんな寒さの事実でもあるのです。

どこまでいっても、孤独ではないのだ、たとえそこが地獄の底だろうと。と、知らせてくれるのが、浄土真宗という仏教でもあります。

鳥取にいた妙好人・源左(げんざ)さんの口癖。「とにかくお慈悲の力はぬくいでなあ」

ぬくもり、今年も味わいましょう!

(山口県 光明寺さまHPより)


【ミズキコーナー】

続いて、上宮寺スペシャルボードアドバイザー、ミズキ氏のコメントを頂きます。

2歳になる娘は
外を歩く時、
よく「手つなご?」と言ってくれます。

あんなに小さな手なのに、
こっちの方が落ち着くような
守っているはずなのに、
守られているような

そんな感覚になります。

特別な出来事じゃなくても、
ただ手をつなぐだけで
救われている瞬間なんだと思います。

人はつい、
目に見える数の大きさや
分かりやすい楽しさ、
幸せに目を向けがちです。

足元の一番大切にしていたいものが、もうすでにあるにも関わらず気づけなくなっているのかもしれません

僕は2026年、
「身近な幸せに気づく」
そんなことから
始めてみたいと思います。

ご一緒にどうですか?笑

寒い日は、
頑張るより
手をつなぐ方が、あたたかい。

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