【掲示板】2月の掲示板の言葉

泣く強さもあるし、泣かない弱さもある(古舘伊知郎)

今月の言葉は、古舘伊知郎さんの言葉とされている、この言葉にしました。

どこで仰った言葉か、調べても見つけられませんでした。ナレーションの一幕かもしれません。いわゆる「普通」と、真逆の角度からの言葉です。

私たちはいつの間にか、「涙を見せないこと」を強さだと勘違いして生きてはいないでしょうか。

我々は、「泣く弱さ」「泣かない強さ」を頭で知っています。

しかし、涙を流すという強さ、泣くことのできない弱さもあるというのです。

どうしようもないこと、自分の力がどうにも及ばない時が、我々にはやってきます。

お釈迦様は、代表例として、生・老・病・死の「四苦」を教えてくださいました。

元気な時、順調な時には、「そんなのあたりまえだ」と簡単に言えていた問題が、急に我々を襲ってくるときがあるのです。

その時に、泣ける場所を持っている人は強いです。弱いまま、強いのです。

弱くあっても許される場を持っているからです。

あるご門徒のお話です。

その方は、お子さんを小学生で亡くされました。

最愛の息子。大切に育てた我が子を失う悲しみは、それまで経験したこともないほどのものだったと思います。

その時、ママ友の方に言われたそうです。

「あなた。つらくて大変だと思うけど、気持ちを強く持って、涙をぬぐって頑張ってね。」

悪気はないと思いますが、これがその方に、トゲのように刺さったのです。

「泣いちゃいけないと思えば思う程、強くあればあろうと思う程、思い出さずにはいられません。時間が解決すると思ってはいても、今でも悲しみが襲ってきます。

でも、ここは違いますもんね。泣いても良い場所が、お仏壇の前、本堂の中ですもんね。」

ご法義を聞く者には、泣ける場が与えられるのです。

許される空間を頂くのです。

誰にも分かってもらえない。誰にも共感できないような物事を我々は抱えていきます。しかし、

泣いて良いんだ。泣くしかないあんたであることはもう、織り込み済みだ。と、仏様は届くのです。

そのうえで、「救う」「悟りの仏にする」と、届いてくださるお慈悲の具体的な姿が、南無阿弥陀仏のお念仏であります。

金子みすゞさんの「さびしいとき」の詩にも同じ心を感じます。

わたしがさびしいときに よその人は知らないの

わたしがさびしいときに お友だちはわらうの

わたしがさびしいときに お母さんはやさしいの

わたしがさびしいときに ほとけさまはさびしいの


【ミズキコーナー】

続いて、上宮寺スペシャルボードアドバイザー、ミズキ氏のコメントを頂きます。

泣くのは、心が壊れたからじゃなく ちゃんと傷ついて、ちゃんと感じた証。

泣かないのは弱さじゃなく 抱えたままでも、前に進もうとした選択

人は弱いから泣くのではなく、 強いから、泣くことも、泣かないことも選べ、 どちらも、逃げていないと私は思います。

その人が、その時にできた 一番誠実な生き方だったのではないでしょうか

泣いてもいい。 泣かなくてもいい。

でもどちらも、ちゃんと生きています。

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