【読書シリーズ📖】『妙好人』鈴木大拙⑱~偽りのない本当の言葉~
前回は、「今が臨終」と仰った、才市さんの心に触れました。
今回は、p90~「4-1_才市の信仰内容~一切は虚偽である~」を読んでいきます。
彼ら(妙好人)のいうところには、偽りがない、感情的圧力で向って来るのであるから、知性の上であれこれとそれをあげつらう余裕を与えてくれない。火で焼くようなもので、熱い寒いもない、直ちに手を引かないと焼け爛れてしまう。禅者の言い草で「大火聚の如く近傍すべからず」ということがあるが、如何にもその通りである。才市の言葉には、実にこのようなものがある。直ちに人の肺腑をつくのである。
※適宜現代語に改めています。括弧は筆者。
妙好人の言葉は、知性で語る人とはわけが違うと言います。「火で焼く」ようだそうです。
それはなぜかと言えば、偽りな言葉、知識で語る言葉ではないからです。身に迫ってくる、心の底を突いてくる、そんな言葉を残したのが、妙好人、才市さんという方であります。
考えてみれば、我々は、不必要なことを言い、必要なことは言いません。
幸せの種をまくことは難しいですが、苦しみの種をまくのは本当に簡単です。
自分の幸福の為なら、他人の不幸を作ることを厭わない時もあります。
そんなものだからこそ、「本当の言葉」を紡ぎたいものです。
「言葉には2つあるなあ。物事を表現するために作られた言葉。それからもう一つは、物事がそのままにありのままに現われた言葉」

梯実圓和上から間接的に聞いた言葉です。
何かを表現するための言葉と、その物事が、そのままに現われるもの。
ありのままに表現していく言葉の例として、梯和上は、松尾芭蕉を紹介されていた記憶があります。
荒海や佐渡に横とう天の川(松尾芭蕉)
事物を、ありのままに表現していく言葉こそ、人間存在の奥底に響くのでしょう。そんな言葉に救われてきた歴史が、我々の過去ともいえるかもしれません。
「南無阿弥陀仏」とは、真実が真実のままに溢れ出た言葉であります。
自己を罵って「ばけのかは」といったり、地獄からそのまま飛び出したものの如くに自らを見ているところからすると、才市の信心はどこにあるのかと思われもしよう。が、ここが実に彼の徹底したところなのである。信心決定したといって、いつも仏様のような顔していると思うのは、甚だ肯綮に中らぬ(こうけいにあたらぬ)観察である。人間はいつも仏性と衆生性との間を往来するように出来ているのである。 この矛盾は、仏性を見ることいよいよ親しくしていよいよ深く感ぜられるといってよい。ひややかな理性でこれを眺めて行く禅者や哲人の如きものもあるが、妙好人の特徴は、この矛盾を情性の上に見て行くのである、即ち人間性の上でそれを感覚するのである。彼らの表現には、それで自ら 「ひきしお」と「さししお」の絶えざる交渉が見られる。そうしてこの交渉がいつも南無阿弥陀仏の鏡の上に照らし出されている。才市の覚帳の各頁にはその跡が歴然として読まれる。
「信心がどこにあるか」
これは大切な問いです。
「信心がどこにあるか」という問いは、信心とは何かを大切に考える人にしか生まれない問いだからです。しかし、ここで驚くべき表現が出ます。
仏様のような顔をしていないことが徹底したところと言うのです。信心と言うと、悟りに近づき、綺麗な心でいるイメージがありますが、そうではないのです。
煩悩に満ちたこの私に、至り届く仏様を「南無阿弥陀仏」と頂くことこそが信心なのです。
仏顔をしている、いかにも心が綺麗そうな人ほど、怪しいかもしれません。僧侶や宗教は、そういう目で見たほうが良いと思いますよ。これは私の経験を踏まえた体感です。
最後に、「「ひきしお」と「さししお」の絶えざる交渉」に触れたいと思います。
前回の投稿内で触れようとも思ったのですが、ボリューム的に断念していました。続けてここにも登場しました。良かった。
・うみのうしを(海の潮)も、さしひき(差し引き)あるよ。わしのこころに、さすしを(差す潮は)、ざんぎ、くわんぎ(慚愧・歓喜)のさしひきのしを。くわんぎのしをわ、さすしおで、ざんぎのしおは、ひきしをで、ざんぎ、くわんぎの、さしひきのしを。これがたのしみ、なむあみだぶつ。
私は今回この読書シリーズを通して、初めて聞いたものでしたが、有難い言葉だなと思いました。
我々の心はコロコロ動きます。環境によって、わが身の状況によって。(コロコロ動くから「ココロ」というのだと聞いたこともあります。)
時に悲しみ、喜びながら生きる我々ですが、それはまるで、海の潮ですよ。潮の満ち引きのように、慚愧と歓喜が繰り返す。
喜べる時もあれば。悲しいときもある。
喜びが満ちる時もあれば、煩悩が満ちることもある。
その私の状況をあてにはしません。信心とは、私の心持ちを言うのではありません。
今日も明日も、潮が、満ちたり、引いたり。
その中に、「あんた一人、忘れはせんよ」と至り届く、南無阿弥陀仏の仏様ましますことを、楽しんだのが、才市さんであり、鈴木大拙氏が感動した点でもあろうかと窺います。



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