〈お盆の意味〉お盆の季節に寄せて(上宮寺法話ブログ)

上宮寺は、浄土真宗本願寺派に属する寺院です。

お盆と言えば、「8月」のイメージがあるかと思いますが、上宮寺がある、東京の地域は、7月にお盆の行事を行うのです。お盆の旧暦が7月、新暦が8月だからです。

上宮寺では、盂蘭盆会法要(歓喜会法要)、いわゆるお盆の法要を7月中旬に行いました。

8月は、特にお盆の行事は行わず、普段通り常例法座を行います。初盆(新盆)のご法事は、8月も、承っております。

このお盆をご縁に、お盆の行事が続いてきた意味合いを、考えたいと思います。

一般的に、世間ではお盆には先祖の魂が帰ってきて、

お盆が終わると元の世界に戻って往かれるという考えられます。

ところが、浄土真宗では先立たれた方は魂になり、迷っておられるのではなく、仏さまの仏力によって、仏さまと成られたと受け止めます

なぜなら、浄土真宗で用いるお経には、私たちの命は、常にご一緒くださった阿弥陀さまに抱かれて、お浄土に「往生」し、「成仏」することが示されているからです。

また、阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまになると、すぐにこの世に還って来て、仏さまとしてご一緒くださることが示されています。

仏さまは、どんな姿もとれるので、ある時は犬、ある時は蚊、ある時は人間、ある時は物になってでも、南無阿弥陀仏のご縁を作りに来るのです。

その救いの道が、阿弥陀仏、ひいてはすべての仏さまの願いですと、救いを味わったのが、親鸞聖人というお方だったのです。これは、文字にすると簡単に見えますが、とんでもないことだったのです。

これにより、どんな命にも救いの道が示されるという、史上初の世界観があらわになったのです。

善悪・賢愚、なににも条件が必要の無いため、平等の救いと言われます。

そのように頂きますと、先立たれた方は、お盆という期間限定ではなく、今も、そしてこれからもずっと皆さんとご一緒くださる命と成られているのです。

ですから、浄土真宗の門徒は、どこか遠くに、先立たれた方の在りし日の姿を探すことはしてきませんでした。

お盆やお彼岸、またはご法事などの様々な仏縁のなかに、合掌し、お経を拝読し、お念仏を称えるところに、

すでに仏さまと成って、私と一緒にいてくれているのだと気づかされてゆくのです。

こんな歌も残っています。

往きしひと みなこのわれにかえりきて なもあみだぶつと 称えさせます(詠み人知らず)

数年前の話ですが、あるご門徒さんに、「三部経をお願いします」とご依頼を受けました。

普通のご法事だと、阿弥陀経か、お正信偈をお勤めして、1時間以内には終了するのですが、浄土真宗で大切にされる、「浄土三部経」を、全て順番にお勤めしてくださいという有難いご依頼でした。

略式のお勤めであっても、三部経を読誦するとなると、3時間以上はかかります。全てのお勤めが終わり、お互いさまに「お疲れさまでした」と、最後の話をしているときに、その方が言われたのです。

わたし、いつかのお説教で聞いた、この言葉が今も忘れられないのです。これに、とっても救われてるんです。

と、言って、仰ったのが、この歌でした。

往きしひと みなこのわれにかえりきて なもあみだぶつと 称えさせます(詠み人知らず)

お浄土に往生された方は、またこの命に届き、「あなた一人にしませんよ」と、お念仏として来てくれるのです。

南無阿弥陀仏。なんまんだぶ。というお念仏は、仏さまに何かを届ける行為ではないのです。それよりも先に、仏さまが、この命を心配してきてくれている姿であったと、味わっていくのが、浄土真宗のご法義です。

お念仏のご縁となりますよう。

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