【読書シリーズ📚】『妙好人』鈴木大拙㊲~くくり~

前回は、「南無阿弥陀仏の本体」と題して、才市さんの、お念仏の味わいを見ました。

今回は、p186~第11章「くくり」を読んでいきます。まとめの章立てです。

「才市覚帳」八冊を通じて感ずるところは、彼が非凡の宗教文学的天才であったということである。

自然のままの荒削りで、何らの彫琢をも加えない詞藻、―――読んで行くままに、心を打たれるものがある。彼が他力的宗教体験の如何にも深きものあるのに感ぜしめられる。

時々にむらむらと湧き出る八万四千の煩悩の炎に包まれて地獄のどん底へ堕ちるかと思うと、たちまちに一転して極楽浄土の涼しい蓮華台上の才市となってしまう。

「わしのこころわ、くるくるまわる、ごを(業)のくるまにまわされて。」

というかと思えば、

「まわらばまわれ、りん十 (臨終)まで、これからさきにくるまなし。」

鈴木大拙氏が、「非凡の宗教文学的天才」と表現する才市の特徴は、生き生きとした感情、宗教的喜びが、溢れていたからであります。

なんと表現したらよいのでしょう。二元的な価値観を超えるというか、行ったり来たり往復できるというか。自由自在にこの世を生き抜いている雰囲気が、上の詩からも伝わってきます。

自らの煩悩や、心の動きにあくせくしながら、気づいたら自分を見失うのが、我々の有様です。

だからこそ、その私を俯瞰する判断軸が必要です。何に従って生き、何に従ってこの命を見つめていくのか。

そこに、仏様の目線を頂くのが、仏教徒であり、念仏者なのです。

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