【読書シリーズ📚】『妙好人』鈴木大拙㉚~ままならぬ~

前回は、「罪業感」と、それと同時に味わう、他力信心について考えました。

今回は、p131「信仰に入るまで」~ままならぬもの~を読んでいきます。

才市をしてこのような念仏三昧の生涯に進ましめた環境的情態は何であったにしても、彼は心の中に深く「ままにならぬ」ものを感じたのである。「ままにならぬ」は、必ずしも人間万事意のごとくならぬということでなしに、もっと主体的に解して見るべきであろう。

何か心の動きに行詰りを感じたとか、どこから生れてどこへ行くのかということがわからなくなったとか・・・・・・ということもまた、「ままにならぬ」ことである。それ故、すべての苦しみ・悩み・煩悩・矛盾・衝突等は、 皆「ままならぬ」ものである。そうして宗教的関心はこの中から生れ来るのである。

「ままならぬ」 ことがなければ宗教はない、聞法の動機は動き出さない。才市は実に深く心の中に感じたのである。

才市さんを浄土真宗に導いたものが、何だったかについて「ままならぬもの」という表現を使っています。

自分の、思い通りにいかないこと、どうにもならない現実の命の問題こそ、聞法の動機であるといいます。

「なんのための命なのか。」「どこに向かって生きているのか。」

この問題は、誰のうえにもある、根本的な問題です。

この苦悩に向き合い、苦を超える道を説いてきたのが、仏教です。

その苦悩の原因は煩悩であると教え、その煩悩を克服した存在を、「仏様」といいます。

そしてその、ままならぬものについて、

「わし」の方に何かあるので、「ままにならぬ」のである。それはこの「何か」が邪魔になるからだ、邪魔ものは、他または外にあるのでなくて、自らのうちから作り出すのである。この「何か」が、何かいうと面を出すので困る。「そら出た、そら出た」で、これを客観的に見るだけの余裕があればとにかく、然らざる場合―――これが多くの場合である――、その場合にはこの「何か」は何か恐ろしい力のある形で、自分に向って来る、そうしてそれが自分そのものの幻影であることに気がつかぬ

「何か」が襲ってくる。誰にもこの影はあるのではないでしょうか。

気づいたら足元に。そして、その問題は、「自らのうちから作り出す」のであるといいます。以前紹介した、悪魔にも似た話だと思いました。

(みてください。自分の影から悪魔はできています。)

悪魔とは、悪魔の顔をしていません。

どういうことか。

善人の顔をしているのです。

悪魔が悪魔の顔をしていれば、騙されません。しかし、善人の顔をしているから騙されるのです。「あなたのためだよ」「あなたを思っているのよ」と、美辞麗句こそ危ないのです。

それは、他人を蹴落としても構わないという、煩悩の心こそ、最も危ないものなのです。それが自分をごまかし、自分を地獄に落としていくのです。

その命に向き合い、充実したものとしていく存在が、不顛倒(ひっくり返らない)、不虚偽(嘘が無い)の、仏様なのです。

最後に、才市さんの詩を紹介します。

うき(憂き)ことに、ををたひとならわかるぞな。

うきことに、あわざるひとなら、わからんぞな。

ためき(ため息)ほど、つらいものわない。

こころのやりばない、ためき。

みだにとられて、なむあみだぶつ。

なむあみだぶと、もうすばかりよ。

あさましとよろこびわ

どちらもひとつ

なむあみだぶつ

溜息すらも、取られる世界。この命を目当てとし、飛び込む存在がいます。

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